百聞は一見に如かず?

話をいろいろ聞くより見た方が早いっていうのはもちろんあります。
が、自分で見たり経験したが故に逆に見識が狭くなるってことがあるんじゃなかろうか。
よくあるのが、「自分はこういう経験をしたから、だからこれこれは正しい」という言い方をする人。
こういうコメントをする人にさらに突っ込んで聞いてみると論理が自分の経験した極めて狭い範囲に閉じてしまっていて、大局的に考えていないことが非常に多いです。
経験していなければ様々な情報を加味して判断できるところが、経験するとその情報がすべてと思ってしまう。
例1:原爆の是非
アメリカ人に原爆の是非を聞くとよく返ってくる答えが「自分の祖父(叔父でも何でもいいが)は戦争に行くはずだったが、原爆により戦争が早く終わったため行かずにすんだ。もし行っていたらどうなっていたか分からない。だから原爆をあの時使ったのは間違っていなかった」というもの。
日本人ならもちろん異を唱えたくなると思いますが、自分の経験でしか考えていない好例ですね。
例2:「戦闘ゲーム場 認めない」教え子亡くした思い届く(八王子スーパー強盗殺人)

担任教諭「『銃は怖い』と発信し続けるのが義務」

考え方としては間違ってはいないけど、だからといってサバゲー場反対ってのはずいぶん筋が違う話。自分の経験したことが強烈すぎて他の観点というものが考えられなくなってるんじゃないでしょうか。それとも、元々そういう考えを持っていたところに大義名分を得て行動に発露してしまったのか。
 
うち自身も知らず知らずのうちに、というよりは知っていてもそういう状態になってしまう。それは主観というものがある以上どうしょうもないことなんだけど、せめてこういうみっともない姿を晒すことはしたくないなあ…無理か。